Bamburgh城
Gatehouse Barbican
北海(North Sea)の海岸から約45メーター程(150feet)の高台に建設された。 547年のアングロサクソン(Anglo-Saxon)年代記に、ベルニシア(Bernicia)王国の町ベッバンブルグ(Bebbanburgh)として歴史に登場する。エセルフリス(Ethelfrith)王の妻のベッバ(Bebba)の名前からきている。
アングル人のマーシア(Mercia)王のペンダ(Penda)が2回町を包囲したが失敗した。次に記録に出るのは、1095年。ノルマン貴族のロバート・デ・モウブレイ(Robert de Mowbray)が、時の王ウィリアム・ルファス(William Rufus)に反抗した際に城は包囲され落城。ロバートは捕虜となっている。
城は、周辺の領主とともに、スコットランドからの侵入を阻止する監視の役割を果たす。13世紀に城壁を強化している。1328年、1333年にはスコットランドから数次にわたり攻撃を受けるが、耐えた。
薔薇戦争(The Wars of the Roses)時代、ノーサンバーランド伯(Earl of Northumberland)ヘンリー・パーシー(Henry Percy)家の城として、ランカスター(Lancaster)王家側の根拠城となる。1464年にはウォーリック伯(Warwick)の持ってきた、ニューカッスル(Newcastle)、ディジョン(Dijon)と称せられた大砲により攻撃を受け、城は破壊された。1610年に王城となる。
18世紀に、壊れたままの城をダラム(Durham)の司教が購入。病院と学校に改造し、海難者の救済にあたる。1786年には、救援船(Life-Saving Boat)が造られた。1894年、武器製造者のアームストロング(Armstrong)が購入。城を改造。
城は、3段階の庭(Bailey)が海岸線に沿って存在。天守(Keep)はノルマン式の石造の矩形だが、時代判定できていない。ヘンリー1世の建設説もあるが不明。なお、ヘンリー2世建設説は、王家の出費記録に出ていないため、誤り。
天守への入口は最初から1階で、その前室も無い。4階建てで、ギャラリーでまわれる。アームストロングが城を改築したために、中世のままの形態を残すものは少ない。
巨大な城には大型バスも来る観光地。城の北にあるバンバラの町は、ホテルもあるリゾート地であり、長期滞在型の街として賑わっている。