序にかえて

Rhuddlan 城
 本稿をお読みいただく皆様へ、心底より感謝申しあげます。
 
 城を研究するには、歴史学、考古学、文学芸術、あるいは天文学の研究や成果を総合して検討していくことが求められます。しかしながら、これらの学問を総合して理解すること非常に困難であることは多言を要しないと思います

 城を史料を元に調査して行くこと、その城がによりいつ建設されたのかが判る場合があります。また城内に暮らした人々や、街を取り囲んだ城壁の中に住む人々が、どのような生活をしていたのかを知ることもできるでしょう
 
 何年にもわたり増改築が繰り返された城もありますが、建築方法を調べることで、建設された時代を特定し、また他国や他地域からの影響を推測することや、いかなる状況の下で施工されたのかが明らかになる場合があります。兵器の改良や戦争技術の変化をみてとることもできます。発掘調査により、思わぬ時代まで歴史が遡ることも出てきます。
 外観から見るだけでなく、内装や調度品、壁画や壁飾りなどの美術工芸に関する研究を行うことで、当時の流行や施主の趣味まで推測することができます
 文学的な研究は、城がどのように受け入れられていたのか、理解するのに役にでしょう。また、文学や芸術作品を好んだ人々と、創作を推奨させた人々と、製作を可能にした手段の存在を感じることもできるでしょう。
 地球的環境の変化を調べることで、戦争疫病が人口の減少をもたらしただけでなく、気候の変動農作物の生産性向上が人口の増減に影響しており、それが城の趨勢にも関係していたことが判るのです

 城を研究することは、このように総合的な知識が要求されるので

 ここに掲げた城の解説が、とても上記の規範に合致しているとは思われませんし、全てが最新の学説を元にしているとは限りません。中世史を研究していますが、城は専門ではありません。


 写真は、イギリスを訪問した際に、一つ一つの城を訪れ、撮りためたものですから、訪問した時と現在とでは状況に変化が生じている場合もあると思います。また、訪問した季節や時間による制約のほか、個人の邸宅として紹介状なしには中に入れない場合もあり、写真が無かったり、十分な枚数の掲載もできていません。一部借用もあります。また、拙い絵も添付させていただきました。

 

 図面は原則的にその出典を記載しています。地名や人名の日本語表記については、一定の基準を設けることが至難の業なので、判り易いことを第一義としています。日本語にない「ヴ」の表記を採用し、前後の音との調和によって、チ・ティ、ツ・トゥ等の両方を使い、原語の綴りと日本語の表記との整合性には余り拘っておりません。長音符号(-)も日本語の音としての調子や慣行を尊重したつもりです。

 

  無知や怠慢による誤りが多々あるかと思いますが、順次修正していく予定ですので、ご容赦ください。