Chepstow 城
ウィリアム征服王(William the Conqueror)によるウェールズ征服に関連して、早くも1067年にウィリアム・フィッツ・オズボーン(William Fitz Osborn)によりワイ(Wye)川の流れに沿って建設された。当初は現在の大広間に相当する部分のみだった。12世紀にはデクレア(de Clare)一族の所有となる。13世紀に結婚により、ウィリアム・マーシャル(William Marshall )がこの城とペンブローク(Pembroke)城の城主となった。
1240年までウィリアム・マーシャルの子息が拡大。12世紀後半には上庭(Upper Bailey)と中庭(Middle Bailey)部分が増築され、13世紀半ばまでに上庭の更に外側に城門(Upper Barbican)が建設され、13世紀末までに下庭(Lower
Bailey)が増築された。
1285年にはエドワード1世が訪問している。
ウィリアム・マーシャル時代のゲイトハウス(Gatehouse)は2本の円形の塔が並び、刎ね出し狭間(Machicolation)が施され、落とし格子戸(Portcullis)と扉で防御されている。
城門の東に建つひときわ大きな塔は、典型的な円柱形天守(Cylinder)型である。
内戦(Civil-War)時代に、チャールズ1世の処刑に同意して署名したマーティンが、チャールズ2世により幽閉されていたので、マーティン塔(Marten's Tower)と呼ばれるようになった。
内戦時には大砲の威力も増しており、厚さ18feetの外壁も破壊された。クロムウェルの後にチャールズ2世が一時使用した。1662年に改修されたが、結局牢獄として使用されることになった。 19世紀まで居住が可能だった。
中庭にある円形の塔は、当時方形の塔が主流だったので、斬新なものであった。
関連URL
Chepstow Castel (Castles of Wales)