Conisbrough 城
ウィリアム征服王(William the Conqueror)と共に北方を征服した、初代サリー(Surrey)伯、ウィリアム・デ・ウォーレン(William de Warenne)が建設したとされるが、記録は無い。当時はドン(Don)川に沿ってモットアンドベイリー(Motte and Bailey)様式の木造の城を建設したと推定される。
ヘンリー2世の義弟のハムリン(Hamelin Plantagenet)が1220年頃に塔と城壁を石で建設した。城は、ウォーレンの死後ヨーク(York)公に渡り、エドワード4世時代に放棄された。1538年には廃墟となっていた。
六角形の天守(Keep)は円柱形の周囲を巨大な控え柱(Buttress)が囲ったシンメトリー形式をしており、イングランド内では他に見られない。高さ100feetある天守には窓が無く、入口は今でも12feet上の2階から外階段で入る。直径は下が50feetで上は40feetになっている。最上階の控柱の中には礼拝所が設置されている。
屋上からは死角がない。実際に居住していたのは、中庭に建設された広間のある建屋。
天守と周囲を囲む城壁は一部接続しており、35feetの高さがある。城壁には城門(Gatehouse)の左右に三箇所ずつ円形の塔が設置されている。中庭内の居住用の建屋は川の断崖に面しており、城壁面に塔はない。