Criccieth 城
1230年代にスリウェリン大王(Llywelyn the Great)が建設したのに始まる。海岸から高いところに建設されており、遠くからもその存在が確認できる。
ウェールズに見られる他の城と違い、ゲイトハウス(Gatehouse)はD字型の塔2本で建設されている。国境地帯に建設されていたイングランドのモンゴメリー(Montgomery)城の2本の円形の塔を模倣したと推測される。
1270年代にスリウェリン王(Llywelyn the Last)により、外庭(Outer-Ward)が建設された。
1283年にエドワード1世によるウェールズ征服戦争で落城した。その後セントジョージのジェイムズ(James of Saint George)の設計により、矩形のゲイトハウス(Gatehouse)が外壁(Curtain-Wall)に接続して建設され、更にその外に門(Barbican)を建設した。
ウェールズの城の慣例では西南の塔が主たる住居建物となるが、イングランドに占領された後は、D字型の塔が主な建物になった。
エドワード1世の城改築により、一部集中形式(Concentric)の形態をとっているのが判る。