Fotheringhay 城
1100年頃、ノーザンプトン(Northampton)伯のシモン・デ・センリス(Simon De Senlis)が建設。建設当初は城の周囲は川と池で囲まれていた。
エドワード3世が息子のエドマンド・ラングレイ(Edmund Langley)に与え、後にヨーク(York)公の好んで住む城となる。1452年にリチャード3世はこの地に生まれ、幼少期を過ごした。
1460年、リチャード3世の父親のヨーク公リチャード(Richard)は、ランカスター(Lancaster)王家のヘンリー6世に戦闘で敗れた後に殺害され、ヨーク市のミックルゲイトバー(Micklegatebar)に首を晒された。翌1461年にタウトン(Towton)の戦闘でランカスター側に勝利したエドワード4世は、父親の首を降ろして、城に隣接した教会に身体と共に盛大な埋葬の儀式を行った。
現在では教会は半分の大きさになり、すでに過去の栄光は失せている。
エリザベス(Elizabeth)女王を継いだ、ステュアート(Stuart)王朝のジェイムズ1世(James)は、母親のメアリー(Mary)女王がエリザベス女王によりこの城に幽閉され、その後処刑されたことから、城の存在をゆるさず、徹底的に破壊させた。
その結果、現在では城の跡は小山が残る程度で、何も残っていない。 現在城の遺跡は農家の中にあり、道路からも認識しにくい。
川に沿って置かれた大きな一つの石は、最近になって川底から引き揚げられた、ただ一つの城のあった証拠となる石である。
看板は、ここがリチャード3世の生誕地であることと、スコットランドのメアリー女王の死去した場所であることを示している。