Richmond 城
スウェイル(Swale)川に沿って建設された。
マーシア(Mercia)伯のエドウィン(Edwin)の土地だったが、ウィリアム征服王の家臣のブリタニー(Brittany)公の赤ら顔のアラン(Alan the Red)が1071年に建設を開始し、1089年までには完成していた。
建設当初から石造りで、11世紀の時代としては早い部類に属する。城は次いでアランの甥のブリタニー公の所有となる。1171年にブリタニー公の死後、ヘンリー2世が現在の天守(Keep)を建設した。
城は建設から300年間、一時中断があったもののブリタニー公が所有し続け、リッチモンド伯領の中心地であった。
1341年にブリタニー公のジョン3世が死亡し、城はイングランド王家の家系のジョン(John of Gaunt)の所有となる。ジョンは1372年までリッチモンド伯だった。
当初は三角形の底辺部分に城壁は無く、川に沿う断崖が防衛を果たしていた。天守を建設せずに城壁に側塔が付く形態は珍しい。
川の断崖に沿うスコランド(Scolland)棟は初代ブリタニー公の執事の名前で、1075年の建設。当初はここが城の中心だった。
天守は城門(Gatehouse)を兼ねているが、このような形態は同時代には、当初のラドロー(Ludlow)城に見られる。不釣り合いなほど巨大な天守にはほとんど窓が無く、中は非常に暗い。また中には暖炉の跡がないので、寒かったと思われる。高さは100feetある。
城は15世紀にはその所有者が次々に変わる。
ネビル(Neville)家、ベドフォード(Bedford )公の後は、ヘンリー6世が義弟のエドマンド・テューダー(Edmund
Tudor)に与え、ヨーク(York)王朝になって、エドワード4世は弟のグロスター(Gloucester)公に与えた。1485年のボスワース(Bosworth)の戦闘でリチャード3世に勝利したヘンリー・テューダーは、即位してヘンリー7世となり、この城の所有者となった。ヘンリー7世がロンドン郊外に建設したリッチモンド宮殿はこの城の名前に由来する。
町の中心にはマーケットが開かれる広場があり、平日は駐車場となっている。
関連URL
RICHMOND CASTLE (English Heritage)
http://www.english-heritage.org.uk/daysout/properties/richmond-castle/
城訪問前に以下のPDFファイルをiPad等に入れておこう。
http://www.english-heritage.org.uk/publications/step-inside-richmond-castle/richmondcastle.pdf
教師用資料
http://www.english-heritage.org.uk/publications/richmond-castle-info-for-teachers/richmondtk.pdf
Guide to Richmond » Richmond Castle (Richmond Online)
http://www.richmond.org/guide/castle.html