Skipton 城
1090年頃にロバート・デ・ロミール(Robert de
Romille)によりノルマン様式で築城された。1310年には、この地方の豪族となっていた、ロバート・デ・クリフォード (Robert de
Clifford)が所有することになり、城の強化に取り組むが、1314年、バノックバーン(Bannockburn)で戦死したため、息子のロジャー(Roger)が城の強化を継承した。 しかし、ロジャーはトマス・ランカスター(Thomath of
Lancaster)を支援し、エドワード2世に反抗したために処刑された。
薔薇戦争(The Wars of the
Roses)当時はランカスター(Lancaster)王家に与して戦ったために、二人のクリフォードが戦死し、ヨーク(York)王家により城を取り上げられた。継承者のヘンリーは身を羊飼いにやつして生き延び、テューダー(Tudor)王朝になり、ヘンリー7世により復権を果たした。
内乱時代(Civil War)は王党派に属して戦い、1645年に落城している。10年後にアン・クリフォード(Ann
Clifford)がクリフォード家の城の全ての改築に取り組んだ結果、現在見られる城郭が残された。
城はエラーベック(Eller Beck)川に沿い、ロバート・クリフォード(Robert de
Clifford)が建設した2本の半円形の塔で構成されるゲイトハウス(Gatehouse)が外庭に面して建つ。上部の欄干(Balustrade)はアン・クリフォード(Ann
Clifford)が改修した部分で、クリフォード家のモットーである、「Desormais(今後は)」の文字が書かれている。
門を入り、内庭の右側には1535年にカンバーランド伯(Earl of Cumberland)が建設したテューダー様式の建屋が多角形の塔まで続く。中心部はノルマン様式の貝型天守(Shell
Keep)だが、モット(Motte)は低く小さいために見落とされがち。全体はエドワード様式のD字型をしている。
直線部分は川の断崖に面し、曲線部分にはすそ広がりの円筒形の6塔が接近して建設されている。このうちの2本がゲイトハウスとして入口を固めている。 テューダー様式の庭には1本の大きなイチイの木が植わっている。 現在も居住城である。
関連URL
Skipton Castle A complete medieval fortress (Official website)
よくできたWebサイトです。
http://www.skiptoncastle.co.uk/
Skipton Castle - North Yorkshire England (Great Castles)
写真はこちらが充実(95枚)。
http://great-castles.com/skiptongallery.php