Tantallon 城
ウィリアム・アーチボルド・ダグラス(Sir William Archibald Douglas)は1346年に相続権を主張するためにフランスから帰国し、名付け親のウィリアム(William)を殺害し、タンタローン(Tantallon)に城を造る。
1357年に、アーチボルド・ダグラスはマー(Mar)伯トマス(Thomas)の妹のマーガレット(Margaret)と結婚し、ジェイムズ(James)が生まれる。1358年に初代ダグラス(Douglas)伯となる。一方で、義兄のトマス(Thomas)の未亡人のマー(Mar)伯兼アンガス(Angus)伯を愛人にし、ジョージ(George)が生まれた。
1384年にアーチボルド・ダグラスは死去。正妻の息子のジェイムズが第2代ダグラス伯になるが、1388年にオッターバーン(Otterburn)の戦闘で戦死。戦死したジェイムズには嫡出子がおらず、非嫡出子のアーチボルド(Archibald)がいたが、このアーチボルドはイングランドで黒ダグラスと呼ばれた。
1389年にアンガス伯夫人が、アンガス伯の爵位を長男のジョージに譲渡することでジョージは初代アンガス伯となり、タンタローン城に住むことになる。ジョージは赤ダグラスと呼ばれた。
赤ダグラス家は着実に勢力を伸ばし、アンガス伯は、2代目のウィリアム(William)、3代目ジェイムズ(James)、4代目ジョージ(George)と継承し、1460年にスコットランド国王ジェイムズ2世(James)がロクスバラ(Roxburgh)で戦死し、ジェイムズ3世(James)が即位した時には即位式で王冠をかぶせる役を行うまでになっていた。
5代目のアーチボルドはジェイムズ3世(James Ⅲ)に抵抗し、1491年にジェイムズ4世(James Ⅳ)をイングランド王のヘンリー7世に引き渡す密約を結んだが、発覚。ジェイムズ4世を拉致して、タンタローン城に籠城した。王奪回のためにスコットランド全土から兵が招集され、タンタローン城は包囲され、王の軍艦まで来て海上封鎖をしたが、落城せず、密約が結ばれ王は解放された。
5代目のアーチボルドは1513年に自然死。なお、2人の息子はフロドン(Floddon)の戦闘で戦死していたため、孫が伯位を継承した。
6代目のアーチボルドは1514年、ジェイムズ4世の未亡人マーガレット(Margaret)と結婚。幼少のジェイムズ5世(James Ⅴ)をエディンバラ城に幽閉し、政治を取り仕切った。
1528年、ジェイムズ5世は、6代目アーチボルドと別居中の母親がいたスターリング城に逃げ込むことに成功。6代目アーチボルドはタンタローン城に戻り、王軍を迎えるために籠城態勢を整えた。
ジェイムズ5世は20日間大砲で城を攻撃したが、火薬不足で大砲は使えなくなり、城は破壊できなかった。1年後の5月に6代目アーチボルドがイングランドに亡命することで決着がついた。
タンタローン城は王の所有となり、改築して更に強化された。
ジェイムズ5世は、1528年以降、それまで赤い岩で造られていた城に緑の石で門の前に建屋(Mid Tower)を追加した。ダグラス塔(Douglas Tower)は6階建。地下はヴォールト(Vault)造り。他の階は木の床になっていた。
東塔は5階だったが改造して、下の3階をヴォールトにして強化した。砲台(Gun-Tower)は6代目アーチボルドがジェイムズ5世を迎え討つ前に建造したと思われる。
城の後ろは断崖で海に臨み、前は2本の濠(Ditch)で囲まれている。1651年にクロムウェル(Cromwell)軍の12日間の砲火の後、破壊された。その後1699年にヒューダリンプル(Hew Dalrymple)に売却された。
関連URL
Tantallon Castle (Undiscovered Scotland: The Ultimate Online Guide)
http://www.undiscoveredscotland.co.uk/northberwick/tantalloncastle/
TANTALLON CASTLE (Historic Scotland)
Tantallon Castle (The Douglas Archives)
絵を見てるだけでも楽しい。ダグラス家は現在でも繁栄しているようだ。
http://www.douglashistory.co.uk/history/Places/tantallon.htm
Tantallon Castle Accommodation Information (Britain Express)
http://www.britainexpress.com/attractions.htm?attraction=1410#tabs-5