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Tonbridge 城

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Tonbridge Castle Floor Plan
平面図

 




  ドーバー(Dover)からロンドン(London)に向かう際に渡る、メドウェイ川(Medway)の防衛目的で建設された。建設者はリチャードフィッツギルバート(Richard Fitz Gilbert)で、1088年にバイユー(Bayeux)のオド司教(Bishop Odo)が王に反抗した際にはオド司教に与したため、城はウィリアム2世に攻撃された。

 その後もリチャードフィッツギルバートは勢力を保っていたが、名前をデクレア家(De Clare)とサフォーク州(Suffolk)の領地の地名に変更している。

 

 デクレア家はハートフォード(Hertford)とグロスター(Gloucester)の伯爵となり、孫の同名のギルバートは、エドワード1世のウェールズとアイルランド侵攻の際に強力な貴族としてその存在を示している。
 
 ギルバートが、トンブリッジ城の巨大なゲイトハウス(Gatehouse)を建設した。なお、ウェールズではカーフィリー(Caerphilly)城を建設している。息子がスコットランドとのバノックバーン(Bannockburn)の戦闘で戦死し、家系が途絶え、城はスタッフォード(Stafford)家の所有となる。
 城はノルマンのモットアンドベイリー(Motte and Bayley)様式で建設されており、ケント地方では非常に珍しい。大きなモットの上に低い貝型天守(Shell Keep)がある。その後モットの上の天守は崩壊し、現在では城壁も脇塔(Flanking Tower)も残っていない。
 
 エドワード1世が1275年に訪問しており、その際にはゲイトハウスに滞在した。U字形の塔は底は矩形で、2本の落とし格子(Portcullis)と2枚の扉に3連の落とし穴(Murder Hole)がり、後部の上部には円形の尖塔が控えている。仮に城が占領されてもゲイトハウスが最終的に独立した防衛基地となる機能を備えた、楼門(Keepgatehouse)様式をとっている。3階は大広間となっている。
 
 街を囲む壁は1259年に強化され現在でも一部、濠と共に遺跡を見ることができる。

 

Tonbridge 城 近くの町:

   北西約15kmのセヴノークス(Sevenoaks) 情報

 

 

関連URL

 

The Castle (Tonbridge History)

http://www.tonbridgehistory.org.uk/places/the-castle.htm

 

Tonbridge Castle (InfoBritain - Travel Through History In The UK)

http://www.infobritain.co.uk/tonbridge_castle.htm

 

Tonbridge Castle (Official website)

一昔前のサイトという印象。

http://www.tonbridgecastle.org

 

Tonbridge Castle (PanoramicEarth.com)

360°パノラマ画像。

http://www.panoramicearth.com/4047/Tonbridge/Tonbridge_Castle