築城様式について
城の形態は大きく分けて以下の4種類がある。
1. モットアンドベイリー(Motte and Bailey)様式
2. 矩形(Rectangular)様式
3. アーリーイングリッシュ(Early English)様式
4. 集中(Concentric)様式
以下にそれぞれの様式を簡単に説明する。
1. モットアンドベイリー(Motte and Bailey)様式
モットアンドベイリー様式の城は、ノルマン征服王朝によりイングランドに持ち込まれた。
簡易な建築方法による城で、ノルマン征服王朝がイングランドを席巻して行く際に、既にサクソン(Saxon)人など先住民族の村落に隣接して建設した場合が多い。イングランドの各地に広く分布する。
人工の山(Motte)を築く場合と、自然の山を利用した場合がある。自然の山の上に更に築山した場合も見られる。この山の上に木造で天守(Keep)を建設する。天守は丸く柵で囲まれたために、これを貝型天守(Shell Keep)と呼ぶ。天守の中には物見櫓が建つ。山の麓には(山を造るために掘った跡の)溝が設けられ、橋がかけられて天守まで続く階段が付く。
人工の山の場合は、地盤が弱いので、大きくて重い建物は造れない。時代が下り、木造の天守は順次石造に改築されていったため、当初の木造の天守が残っていることはない。
現在見られる石造の天守は、完全な円形とは限らず、楕円形や六角形、八角形のものもある。直径は9m~30mと大きさに差がある。壁厚は2m~3mと薄い。壁を補強するために片蓋柱(Pilaster)が付いているものがある。壁の高さは6m~9m。
山の麓には、居住用の建屋や倉庫、家畜小屋などを設置した。その周りを木製の杭で囲み、その外側に溝を掘り、場合によっては川の水を引き込み、水濠とした。この囲まれた場所をベイリー(Bailey)と呼ぶ。ベイリーの外に更に広くベイリーを設定している場合には、内側を内庭(Inner Bailey)外側を外庭(Outer Bailey)と呼ぶ。二つのベイリーが横に連なり、その中心にモットがある場合やベイリーがモットを囲んで複数存在する場合もある。
2. 矩形(Rectangular)様式
ノルマン征服王朝がイングランドに持ち込んだ築城様式の一つ。モットアンドベイリー(Motte and Bailey)様式と並ぶ代表的な築城様式。
従来の説では、モットアンドベイリー様式による築城が歴史的に先で、その後に矩形の城ができたと言われていた。現在の研究では、モットアンドベイリー様式と矩形様式は同時並行的に存在したとされる。
矩形様式の城は初めから石造で、地盤の固い平らな所に建設された。必ずしも木造の城を後で石造に改築したのではない。初期の矩形の城は、ドーヴァー(Dover)城、カンタベリー(Canterbury)城、ロチェスター(Rochester)城など、ロンドン(London)から東にかけての地域に多くみられる。
天守(Keep)の壁厚は下で6m、上で2m程。天守内の仕切壁(Cross-Wall)はロンドン塔やロチェスター城では1枚で2部屋になり、ボウズ(Bowes)城では2枚で3部屋になる。窓が上部ほど大きくなるのは、武器が届かない安全性のほか、石積みによる重量軽減の必要性があったためである。採光のために開けられた穴は、木製の扉(Shutter)で閉じられる。外からの攻撃を守るのが優先された。
大部屋が多く、天井は7.5~9mと高い。屋根は切妻が多く、壁垣(Rampart)の下に隠れている。入口は通常外側に取り付けられた木造の階段で2階から入る。入口は特に隠蔽する必要があり、建屋の前に前室(Forebuilding)を造り入口を判らなくさせた。
3. アーリーイングリッシュ(Early English)様式
モットアンドベイリー(Motte and Bailey)様式の貝型天守(Shell Keep)や、矩形(Rectangular)様式は、ノルマン征服王の時代からヘンリー2世頃までの、150年間に採用された築城様式。ヘンリー3世の時代になると、これらのノルマン様式が時代遅れのように思われてくる。
それまでに多くの城が建設されており、新たに城を造るよりは改築が進むようになる。大きな戦争も無く、徐々に内装も充実して、内壁にはフレスコ画が描かれ窓にはステンドグラスが入ってくる。従来の矩形様式と同様に、周囲の城壁(Wall)から独立して、大型の円柱形(Cylindrical)の天守(Keep)が造られ、ゲイトハウス(Gatehouse)などが追加されて行く。しかし軍事的には進歩したとは思われない。
コニスバラ(Conisbrough)城では天守は城壁に接しているが、ペンブローク(Pembroke)城では円柱形の天守は完全に独立して聳え立つ。
当時フランスでは円柱形で、厚い壁で覆われた天守を持つ城が建設されており、その影響を受けている。天守の螺旋階段は最上階まで続いている。窓はほとんどない。
4. 集中(Concentric)様式
一つ以上の塔(Tower)を持ち、守りが一つ以上の線上にある城を言う。語義的には、同心円的な建造を言うが、外側の城壁とその内側にある城壁の間が狭く、二重構造になっている形式を呼ぶ。
ヘンリー3世までに建設された城はそれが集中様式のように見えても、後日改良された場合が多い。ロンドン塔は現在では、完全な集中様式の城となっている。
従来、集中様式はエドワード1世が十字軍に従軍して、東方(Syria)から伝えたものとされてきた。これは偉大な王に関連づけられたからであり、エドワード1世が伝えたのではなく採用した、とするのが正しい。 カーフィリー(Caerphilly)城を嚆矢として、北ウェールズの世界遺産の城、ハーレック(Harlech)城とボーモリス(Beaumaris)城は集中様式の典型的な城である。
城の城壁には側塔(Flanking-Tower)が組み込まれているので、1ヶ所が攻撃された場合に、攻撃場所がどこかすぐに判明する。兵士は短時間で移動し、集中して防御できる体制を取ることができた。仮に外側の城壁が破られても、内側の城壁との間に狭い外庭(Ward)が控え、敵が一斉になだれ込むことができなくなっている。敵は内側の城壁上からの攻撃に身をさらすことになる。また外庭には攻撃用の機材を持ちこむ場所もない。
外側の城壁は低く、内側の城壁が高いので、2階から外側を攻撃するような態勢をとることができた。なお、内側の城壁内の内庭は広く、多くの兵士を駐屯させられるばかりでなく、農民を避難させ家畜を飼うこともできた。