Grosmont 城
1070年にノルマン征服王朝がウェールズ侵攻の際に、同行したウィリアム(William)が建設した城。翌年1071年にウィリアムが戦死すると、1075年には、アバガバニー(Abergavenny)のバーロン(Ballon)家やウィーブレイ(Weobley)のレイシー(Lacy)家により土地ごと城も奪われた。
その後ペイン・フィッツ・ジョン(Payn Fitz John)がヘンリー1世時代に手に入れ、西のホワイト(White)城と東のオルコップ(Orcop)城を所有し、12世紀にはスケンフリス(Skenfrith)城も所有し、一時優勢を誇った。
現在オルコップ城は、モット(Motte)の跡が判る程度で、単なる小山となっている。
グロスモント城は1160年代になって要塞化されたことが記録にでている。
その後ウェールズ侵攻への地理的な優位性からヘンリー2世が所有を主張し、王の軍を駐屯させた。しかし次のジョン王の時代に、ヒューバート(Hubert)が城を奪取している。
イングランドとウェールズの国境付近はノルマン時代から豪族が多く入りこみ、勢力争いは熾烈だった。
なお、ランカスター(Lancaster)公のヘンリー(Henry)は1300年にこの城で生まれた。
モットアンドベイリー(Motte and Bailey)様式の城。深い濠(Ditch)があり、外から見ると天守は円形だが、中に入る矩形に見える。これは外側からの掘削による崩壊を避けるためと推測される。
城の形態は全体としてみると半円形で、入口のゲイトハウス(Gatehouse)を入ると東側に長方形の館があり、西側の城壁は半円形で、南から天守(Keep)と円形の西塔が並び、矩形と円形が合体した折衷形態になっている。